リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 08, 2022 2022年8月9日(火)神奈川県高等学校教科研究会の歴史分科会高大連携講座向正樹「東ユーラシアの経験―伝播のネットワークからみた大モンゴルの時代―」発表レジュメ短縮版(解答篇・文献目録なし)PDF解答篇・文献目録PDFノーカット版PDF地図PDF リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
5月 23, 2025 【予告】「 SCool Out ! (スクールアウト) ーBTN の視点からの コンテンツ発表、 アイデア共有、表現の場ー 」 開催について 【コンセプト】 2022 年 4 月、全国の高校で歴史総合がスタートし、「歴史を学ぶ」から「歴史で学ぶ」方向へ舵が切られました。これはわが国の歴史教育における《ファースト・インパクト》と言うことができます。そして、 2025 年 4 月、高校の新課程で探究型の歴史を学んだ生徒が大学に入り、社会に出ていく、歴史教育の《セカンド・インパクト》を経て、いま、私たちは新しいタイプの知性を備えた「ニュータイプ」と共存する時代を迎えつつあります。新しい歴史の学びは私たちにどんな変化をもたらしたのでしょうか?端的に言えば、歴史の消費者から、主体的な探究者・表現者・発信者となっていく、と考えられます。歴史と現在のつながり、歴史と私たち自身と関わりを見いだし、この世界について主体的に学び、知り、考え、洞察を深め続けていく存在に変わるはずです。まだ変化の全貌は見えていませんが、しかし着実に自分の日常世界の枠を超越した洞察力を獲得した「ニュータイプ」への覚醒はそこらじゅうで起きはじめているはずです。その変化を実感し、確認し合い、共有し合う場が必要です。そこで私たちは、教員、研究者、生徒、市民が教室や学界を飛び出(スクールアウト)し、垣根を超えて発表し、学びのアイデアを共有したり、表現したりする場を作ることにしました。 【内容】 本企画は、 高大連携歴史教育研究会 ・第11回大会の公募パネルのひとつとして採択されました。パブリック・ヒストリーの試みとして、高校、市民講座などの生徒自らがアイデアを生み出し共有し、企画者や各分野のエキスパートの参加者がプレゼンを聞き一緒にアイデアを深めることを目的としています。 テーマは、「伝播・つながり・刷新」。プレゼンの内容は自由です。時代も地域も問いません。未完成なアイデア、進行中の探究活動の中間発表でもOKです。 ただそこに、歴史と現在とをつなぐようなインサイト(洞察)の提示(またはそのような姿勢)があれば結構です。 それは例えば、現在が過去とどのような形で繋がっているか、ヒト、モノ、情報が時間や空間を超えてつながり、どのようにして新しいものが生み出されたのか、 といった普遍的なレベルの... 続きを読む
歴史学とヒストリーカルチャー(その2) 2月 19, 2023 最初の蒙古襲来ブーム ? 1992年前後の「モンゴル・ブーム」が、現在のモンゴル帝国史研究分野の「黄金世代」とどの程度関わっているのか証明することは難しい。1990年代にモンゴル帝国史研究が活況を呈し、多様な視点からの研究が進展し、杉山正明が『大モンゴルの世界』(角川書店、1992)のあとがきに「あれもわからない、これもわからない」(365頁)と書いたような状況よりは幾らかましになり、若手研究者が最新の成果に触れることができる状況が生まれたことも関係するかもしれない。一方、1992年以前にもモンゴル帝国史を含みつつ、より広く中央ユーラシア史に関心を刺激するような社会的なブームが研究分野の活性化と連動していた例を見出すことができる。それが次に述べる1890年代の蒙古襲来ブームと1980年代のシルクロード・ブームである。 日本のモンゴル帝国史が長い伝統をもつことは、那珂通世『成吉思汗実録』(大日本図書、1907)という書の存在が示している。那珂通世には洪鈞『元史訳文証補』(文求堂、1902)の校訂という業績もある。ところが、こうしたアカデミズムの世界のみならず、明治期の日本社会においては、モンゴル帝国に対し、ある特別な関心が寄せられていた。 江戸末期にいたるまで、日本で歴史が語られる際、蒙古襲来に言及することは決して一般的ではなかった。当時、日本では中国と同様、『千字文』や『三字経』といった漢文で書かれた四字句が連続する長詩や三字句の韻文が小児の書道の手本や漢字習得のために用いられてきた。その内容は道徳に関するものや歴史の知識を盛り込んだなどがあった。日本の通史を学ぶことができるようなものも何種類も作られていた。(本格的な調査を行ったわけではないが筆者の管見の限り)もともとそこに蒙古襲来に関する句は含まれていなかった。ところが、1853年のペリー来航を契機に、蒙古襲来が『千字文』や『三字経』に登場するようになる。1868年、江戸幕府が倒れて明治政府が誕生すると、国民の統合を図るため蒙古襲来の集合記憶が呼び起され、利用されるようになる。 蒙古襲来の記憶を1886年、福岡警察署長となった湯地丈雄は、長崎に帰港した清国北洋艦隊水兵の暴動(長崎事件)や、コレラの猛威による死者を目の当たりにし、往時の蒙古襲来の惨状に思いを馳せ、明治日本を... 続きを読む
コメント
コメントを投稿