日米災害パニック比較―Fukushima 50、カリフォルニア・ダウン―
ある意味、歴史スペクタクルと相通じるところのある災害パニックものの邦画と洋画。
『Fukushima 50』(2019年、日、若松節朗監督)
『カリフォルニア・ダウン San Andreas』(2015年、豪、ブラッド・ペイトン監督)
『Fukushima 50』は角川だから経験的に雰囲気は出てるが中身はすっからかんだろうと思った。観たところまでは雰囲気はまあ出ている。無能な働き者を絵に描いたような総理大臣像が物議を醸してたらしいがある意味、パニック映画に新風を吹き込んだといえるかもしれない。というのも災害パニック映画の政治リーダーは、死んだり行方知れずになったりしてる家族の写真を伏し目がちに眺めながら、敢然と前を向き人々の先頭に立って危機に立ち向かうのが相場だから。この映画の総理は東電の邪魔しかしていない。実在の政治家がこんなにコケにされた描かれ方、あまり見たことないぞ。最近の歴史ものは無能とされてきた人物が実はそうでもなかったとか再評価する向きもあるのだが、この映画では清々しいまでの無能ぶりだ。
『カリフォルニア・ダウン』の邦題紛らわしい。元レスラーのザ・ロックが主役だから地下プロレスかなんかの話と勘違いさせようとしてるのか。原題はサンアンドレアス断層からとったとか。ザ・ロックの俳優業の評価を知らなかったので(『ジュマンジ』出てたな)、脳筋映画だと侮っていたが、案外、元妻とのすれ違いとか娘を思う父とかちゃんと家族ドラマをやっていた。災害パニックものあるあるもちゃんとそれなりに踏まえている。主役の恋敵はいざという時役に立たないパターンとか、他に先駆けて危険を予測しててしかも都合よく現場に居合わせている科学者とか。パターンから逸脱していると思うのは、「えっ、いいの」と思うくらいみんなのために働くはずのレスキュー隊の主人公が(仕事で使う救助ヘリとか盗んだ車とかで)ひたすら自分の家族を救うためだけに奔走していること。これもワークライフバランスの時代の波か。(2022年2月1日投稿より改訂)
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コメント
『Fukushima 50』の続きイヤホン大音量にして見始めたとたん3号機が大爆発してすごいびびる。
最後まで観たら、色々鮮明になった『カ』と『F』の違い。『カ』はレスキュー隊といえども災害のときまず家族を救うと決意する。しかもザ・ロックの娘がザ・ロック譲りの防災知識と鋼のハートで父親が来る前にむしろ彼氏兄弟の危機を何度も救う大車輪の活躍をする。
『F』は災害が起きたら責任ある人々は家族のことは後回しで決死隊となる。家族は『戦神』の戚継光夫人と違って不平を言わず無事を信じて待つ。決死隊は基本「漢」の世界。女性は掃除と案内役をする。主人公は娘が子持ちの四十男と結婚しようとするのにキレるという家父長ぶり。世界は『アルマゲドン』(98年)から大きく変わったが日本はまだそこで時間止まっている感じ。『F』の方が新しいとはとても思えない。しかも最後はオリンピックに繋げる国策映画だった。『カ』の方がスペクタクル脳みそ空っぽ度は高いんだがそういう感覚は新しめになってる。
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