大学生による「バウンドする伝播のネットワーク」の事例分析:

 獅子狩文錦の伝来について 


1.はじめに

 法隆寺に所蔵される獅子狩文錦は、日本の国宝の1つであり、ササン朝ペルシャ文化の影響を強く受けた作品として知られている。巾130センチ、長さ150センチの錦で¹、樹を中心とした馬上の武士が、4頭の獅子を射る情景を、左右対称、上下二段に向きを変えて配置してある²。67世紀頃に制作されたと考えられているが、遠く離れた現在のイランの辺りから、どのようにして、日本に伝来したのだろうか。以下では、獅子狩文錦に用いられている技法と、日本には生息しない獅子が、どのように伝播し、なぜ受け入れられたのかについて述べる。

 

2.技術の伝播

 まず、獅子狩文に用いられている技法についてである。作品内で表された人物が、ササン朝ペルシャのホスロー2世と同じものを着冠していることや、植物文が、ペルシャのアカンサス十字唐草であることから、ササン朝ペルシャに起源があると言われている³。実際に、6世紀頃のササン朝では、工芸復興のためにシリアから多くの職人を移住させ、ササン朝様式の工芸品や、独特な幾何学模様が誕生していた⁴。また、人物が乗る馬に、吉祥文字や漢字が書かれていることから、中国を経由し、翻訳されたと考えられる。その媒介は、突厥と言われる6世紀に中央ユーラシアを広く支配していた遊牧国家の協力に基づくシルクロードの利用だと言える⁵。ゆえに、獅子狩文は中国にもたらされ、遣隋使や遣唐使を通して、日本に到来した。また、日本は当時、中国や朝鮮から積極的に高度な技術や文化を取り入れていた時代背景があるため、技法の吸収を容易に行うことができたのではないだろうか。このように、各国が積極的な対外政策を行っていたことと、技術を取り入れることができるだけの能力があったために、獅子狩文は、67世紀にかけてササン朝から中国を通って、日本に伝播したと考えられる。

 

3.獅子の伝播

 次に、獅子の伝播についてである。日本には生息しないライオンが、なぜ受け入れられたのだろうか。ライオンは、サバンナを代表する哺乳類であり、紀元前数千年前のエジプトで初めて造形化された⁶。メソポタミア初期王朝時代の城壁に描かれたライオンは、神聖であると同時に、王の権威の象徴として忠実に服従している。そして、このイメージはインドに南下し、翻訳された。インドでは、ライオンは紀元前3世紀頃の柱や仏教に見られるが、釈迦の偶像化に使われた技法と同じ表現方法が使われている⁶。よって、インドの人々は、ライオンを従えるメソポタミアの王と、釈迦を同じ地位であると見なし、ヒンドゥー教や仏教に浸透したと考えられる。そして、さらに伝播は進み、東アジアに伝来した。東アジアにはライオンはしないが、仏教に取り入れられた形で、仏教と共に到来した。紀元前、既に中国には独自の思想があったが、外部の文化を積極的に取り入れ融合させる姿勢をとっていたことから、釈迦に服従するライオンの意義を認識したと考えられる。後漢に制作された武士祇石彫が、ライオンが描かれた作品としては最古であり、そこで獅子と呼ばれていた⁶。つまり、ライオンは獅子という名に変更され、仏教に取り入れられた形で、遣隋使・遣唐使を通して日本に伝来したと考えられる。ゆえに、日本には生息しないライオンは、メソポタミアを起源に、インド、中国と2度の閾値を超え、翻訳され、日本に伝来したと言える。

 

4.おわりに

 このように、法隆寺の獅子狩文錦は、日本にはない技法とライオンという概念が用いられた作品であり、それぞれ別の経路を通って翻訳され、日本に伝来した。技法は、6世紀頃のササン朝を起源に、シルクロードを通って中国に伝播し、遣唐使・遣隋使によって日本に伝来した。ライオンは、紀元前数千年前のエジプトで造形化されたことを起源に、メソポタミアで王の威厳の象徴として描かれるようになり、インドで仏教に取り入れられ、その形態で中国に伝播した。そこで、獅子と呼ばれるようになり、遣隋使・遣唐使によって日本に到来したのである。閾値を超える中で、各国が積極的な対外姿勢と対応可能な能力を持っていたことと、宗教の中に組み込まれたことが、伝播を促進させたと考えられる。(1708)

 O・Mさん

¹ 染司よしおグループ「法隆寺伝来国宝「四騎獅子狩文錦」の復元進む」『紫のゆかり 吉岡幸雄の色彩界』、2002年(https://www.sachio-yoshioka.com/blog/2002/08/d10/  閲覧日:2020年1127日)

² 旺文社世界史事典 三訂版、「獅子狩文錦」、2020年(https://kotobank.jp/word/獅子狩文錦-2128769   閲覧日:2020年11月27日)

³ 李虹―他「獅子文考 ―法隆寺蔵 獅子狩文錦の伝来―」『山野研究紀要』1720093

⁴ 教材工房「ササン朝の文化」『世界史の窓』、2020(https://www.y-history.net/appendix/wh0101-139.html 閲覧日:2020年1127)

⁵ 教材工房「突厥」『世界史の窓』、2020(https://www.y-history.net/appendix/wh0302-076.html 閲覧日:2020年11月27日)

⁶ 李虹―他「獅子文考 ―法隆寺蔵 獅子狩文錦の伝来―」『山野研究紀要』1720092


参考文献

近藤真男「国際政治学的にササン朝ペルシアと東口―マ帝国、魏晋南北朝隋唐との国家権力交流、飛鳥奈良朝に至る文物交流の経過を論ず」『国士舘大学政経論叢』311980237-248

 


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