ロシア映画の蒙古襲来と香港映画の倭寇―フューリアス、戦神―
ロシア映画『フューリアス』と香港映画『戦神』。どちらも超リアルな血みどろ戦闘シーン多めで寝る前に見るべきではない。いまや大国のロシアと中国が、かつてのモンゴル帝国や戦国日本の出先程度の勢力に圧迫されて苦しんでいたんだぞという話なわけだが、いったいどっちに感情移入して観たら良いのだろう。
『フューリアス 双剣の戦士 Legend of Kolovrat』(2018年、露、イヴァン・シャーコヴェツキー監督)
日本でのキャッチコピーは「1人VS15万人 伝説の戦いを描く瞬殺ソードアクション!」。「悪逆非道な暴君として知られる」(そうなん⁉︎)バトゥ・ハンが多分ラスボスと目される。故HIDE氏のような何の意味かわからん含み笑いで映画の序盤で雰囲気を盛り上げる。しかし、主人公のルーシの隊長の温かい家庭がルーシの都市リャザンまるごと核爆弾でも落ちたかのように破壊しつくされるというトラウマ展開。最初から虚無的な雰囲気を漂わしてる主人公(ロシアではこういう根暗無口な感じがモテるのか)はいったいこの先何のために戦うのか全く解せず、観るのをやめる。
『戦神 ゴッド・オブ・ウォー 蕩寇風雲』(2017年、中港合作、陳嘉上監督)
のっけから「倭寇はじつは漢民族なのだ」というナレーションから入って「おおっ」てなる。倭寇の王直は囚われてしまっている時代、王直の子や手下たち+日本の浪人集団+密かに明国に足がかりを築こうとする平戸の松浦家のサムライ衆からなる「倭寇」が台州あたりを襲う。それに対抗する柳葉敏郎風ヒロユキ系の顔をした明軍の名将戚継光が主人公。CGとか使わない上、ワイヤーも使い過ぎないほどほどのアクションがなんかリアルですごく見応えあった。皇帝が扇子持って空飛んできてチャンバラしたりせず、チャイナドレスでスクリュードライバーみたいな剣技をくり出したりはしないので、中世脳筋肉弾バトルを求める私的にこれは良作認定。映画のポスターがサモハンキンポー(いまはデブゴンとか言っちゃだめなのか)だからこれはどんなおふざけB級アクションなんだ、と思っていたらかれが演じる明の将軍兪大猷すごく良い!劇中の登場キャラ同士のタイマン戦績から総合的に判断すると個の戦いの技量は兪が最強、次が戚大人で、次が倉田保昭。しかし、倭寇のふりした松浦家の宿老倉田が老獪な戦略を展開して明軍を追い詰め、サモハンキンポーの兪は敗戦続き。挙げ句の果てに兪は超いい奴なのに政治的能力が皆無なので投獄されてしまう(本人も戦果をあげていないから仕方なしと諦めてて塀の中で案外気楽に過ごしてるのがせめてもの救い)。戚継光も倉田の策略に翻弄され苦しい戦いを強いられるのだが、人をひきつけるカリスマ性と指導力とで、義烏の荒くれ者らをリクルートして明軍を生まれ変わらせ、倉田たちを追い詰め、最後に熱いチャンバラ決戦を繰り広げる。この映画の戦いにおいてゴールを決めたのは戚かもしれないが、私的にはMOMはかれではない。彼の妻、戚夫人だ。戚夫人は部下たちの面前で夫にぐーパンチを喰らわしたりするじゃじゃ馬ではじめは感じ悪いが、それだけではなかった。さっきのロシア映画の主人公の妻は敵を睨みつけて死んだりするだけだが、戚夫人は鎧をまとって檄を飛ばし夫の留守の街をわずかな守備隊と連携して守り切る。しかも剣は初めて握ったみたいな顔してびっくりした顔をしながらバッサバッサと敵兵をなで斬りにする。さりげなく戦績はムーランも真っ青なのではないか。もし史実だとしたら地方志の列伝の烈女の条に燦然と名を残しているはず。(2022年2月7日投稿より一部改訂)
『フューリアス』の疑問。主人公は10代の頃モンゴル軍の襲撃を受けてトラウマになり、朝起きてもしばらくは10代に戻って記憶がなく、周りが色々言って思い出させてあげる必要がある。そのため戦地でも寝ようとしない。そんな状態で力が発揮できるはずない。あと、妻は献身的に毎朝記憶を無くす夫に優しく話しかけて思い出させるが、その妻もモンゴル襲撃のとき、主人公のすぐそばにいた。なぜ妻はトラウマにならなかったのか。最後まで見たら辻褄は合うのか。
一方、私がいつもこの手の映画で疑問に思う問題は避けられていた。つまり、大事な一人の身内の命を救うために敵は何人殺すねん、という問題。『フューリアス』はそもそも守るべき人が死んでる。『戦神』では守るべき人はほっとかれてみずから戦って生き延びるため。
『戦神』の疑問
よく考えたら戚継光の妻を戚夫人とは言わないはず。劇中では夫人と呼ばれてたが名前はないのか
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