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  【予告】「 SCool Out ! (スクールアウト) ーBTN の視点からの コンテンツ発表、 アイデア共有、表現の場ー 」 開催について   【コンセプト】 2022 年 4 月、全国の高校で歴史総合がスタートし、「歴史を学ぶ」から「歴史で学ぶ」方向へ舵が切られました。これはわが国の歴史教育における《ファースト・インパクト》と言うことができます。そして、 2025 年 4 月、高校の新課程で探究型の歴史を学んだ生徒が大学に入り、社会に出ていく、歴史教育の《セカンド・インパクト》を経て、いま、私たちは新しいタイプの知性を備えた「ニュータイプ」と共存する時代を迎えつつあります。新しい歴史の学びは私たちにどんな変化をもたらしたのでしょうか?端的に言えば、歴史の消費者から、主体的な探究者・表現者・発信者となっていく、と考えられます。歴史と現在のつながり、歴史と私たち自身と関わりを見いだし、この世界について主体的に学び、知り、考え、洞察を深め続けていく存在に変わるはずです。まだ変化の全貌は見えていませんが、しかし着実に自分の日常世界の枠を超越した洞察力を獲得した「ニュータイプ」への覚醒はそこらじゅうで起きはじめているはずです。その変化を実感し、確認し合い、共有し合う場が必要です。そこで私たちは、教員、研究者、生徒、市民が教室や学界を飛び出(スクールアウト)し、垣根を超えて発表し、学びのアイデアを共有したり、表現したりする場を作ることにしました。 【内容】 本企画は、 高大連携歴史教育研究会 ・第11回大会の公募パネルのひとつとして採択されました。パブリック・ヒストリーの試みとして、高校、市民講座などの生徒自らがアイデアを生み出し共有し、企画者や各分野のエキスパートの参加者がプレゼンを聞き一緒にアイデアを深めることを目的としています。 テーマは、「伝播・つながり・刷新」。プレゼンの内容は自由です。時代も地域も問いません。未完成なアイデア、進行中の探究活動の中間発表でもOKです。 ただそこに、歴史と現在とをつなぐようなインサイト(洞察)の提示(またはそのような姿勢)があれば結構です。 それは例えば、現在が過去とどのような形で繋がっているか、ヒト、モノ、情報が時間や空間を超えてつながり、どのようにして新しいものが生み出されたのか、 といった普遍的なレベルの...

近世グローバル゠ユーラシア史

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0 ユーラシア都市の発展 1 近世前期の通商拡大 2 17世紀の危機から秩序化へ 3 近世帝国

歴史学とヒストリーカルチャー(その2)

最初の蒙古襲来ブーム ?  1992年前後の「モンゴル・ブーム」が、現在のモンゴル帝国史研究分野の「黄金世代」とどの程度関わっているのか証明することは難しい。1990年代にモンゴル帝国史研究が活況を呈し、多様な視点からの研究が進展し、杉山正明が『大モンゴルの世界』(角川書店、1992)のあとがきに「あれもわからない、これもわからない」(365頁)と書いたような状況よりは幾らかましになり、若手研究者が最新の成果に触れることができる状況が生まれたことも関係するかもしれない。一方、1992年以前にもモンゴル帝国史を含みつつ、より広く中央ユーラシア史に関心を刺激するような社会的なブームが研究分野の活性化と連動していた例を見出すことができる。それが次に述べる1890年代の蒙古襲来ブームと1980年代のシルクロード・ブームである。   日本のモンゴル帝国史が長い伝統をもつことは、那珂通世『成吉思汗実録』(大日本図書、1907)という書の存在が示している。那珂通世には洪鈞『元史訳文証補』(文求堂、1902)の校訂という業績もある。ところが、こうしたアカデミズムの世界のみならず、明治期の日本社会においては、モンゴル帝国に対し、ある特別な関心が寄せられていた。   江戸末期にいたるまで、日本で歴史が語られる際、蒙古襲来に言及することは決して一般的ではなかった。当時、日本では中国と同様、『千字文』や『三字経』といった漢文で書かれた四字句が連続する長詩や三字句の韻文が小児の書道の手本や漢字習得のために用いられてきた。その内容は道徳に関するものや歴史の知識を盛り込んだなどがあった。日本の通史を学ぶことができるようなものも何種類も作られていた。(本格的な調査を行ったわけではないが筆者の管見の限り)もともとそこに蒙古襲来に関する句は含まれていなかった。ところが、1853年のペリー来航を契機に、蒙古襲来が『千字文』や『三字経』に登場するようになる。1868年、江戸幕府が倒れて明治政府が誕生すると、国民の統合を図るため蒙古襲来の集合記憶が呼び起され、利用されるようになる。   蒙古襲来の記憶を1886年、福岡警察署長となった湯地丈雄は、長崎に帰港した清国北洋艦隊水兵の暴動(長崎事件)や、コレラの猛威による死者を目の当たりにし、往時の蒙古襲来の惨状に思いを馳せ、明治日本を...

歴史学とヒストリーカルチャー(その1)

日本のアジア史研究を題材とするヒストリーカルチャーの可能性  ヒストリーカルチャーとは、ある社会ないし人間集団に共有される歴史イメージを表象するメディアを指す。歴史イメージには、多くの場合,史跡・文化遺産・伝承といったその源泉となる媒体が存在する。そして、ある歴史イメージが伝播する過程においても、そうしたメディアが重要な役割を果たす。また、そうしたイメージをキープし時代をバウンドして伝わることを可能にする人・組織・アーカイヴなどが存在する。伝播の過程では、意図的に「脚色」が加えられたり(例えばある段階で意図的な誇張や再編が行われて、本来のありようと乖離した歴史イメージが構築されるなど)、あるいは無意識的な「誤訳」のために少しずつイメージが変容したりする。本研究は、様々な媒体を通じてある歴史イメージが最終的に独特な形で特定の社会や人間集団に広く浸透し共有されるにいたるプロセスに着目する。そして、そのような歴史イメージが人びとの他者認識やアイデンティティに影響をおよぼすさまを具体的なトピックから探りたい。EU圏において社会的な歴史認識そのものではなく、歴史的素材を含む雑誌・映画や観光資源といった媒体そのものを対象とする研究が発展した。本研究は主にドイツにおける当該研究分野の旗手であるスザンヌ・ポップ教授の次の論文を参考にしている。 Susanne Popp etal.(eds.), Commercialised History: Popular History Magazines in Europe Approaches to a Historico-Cultural Phenomenon as a Basis for History Teaching (Peter LangGmbH, 2015); “Historical Consciousness, Historical Culture, and Public History: Three Key Concepts of History Teacher Education at German Universities”[歴史認識, ヒストリー・カルチャー, パブリック・ヒストリーードイツの大学における歴史教員養成の三つのキー概念ー](『アジア太平洋論叢 』22, pp. 80-86, 2020)  近年、歴史をアカデ...

ウラジーミルのヘルソン攻略―バイキング―

【寸評】    じつはバイキング映画ではないとも評される『バイキング 誇り高き戦士たち』(アンドレイ・クラフチュク監督、露、2018年)を観る。  中世肉弾バトルものかと思って観たらスペクタクル史劇だった。  受験時代に詳説世界史ノート?に書き込んで学んだ記憶があるノヴゴロドのリューリクから何世代かあとの10世紀後半、ウラジーミル1世が主人公。リューリクは血みどろの争いが絶えないルーシから王になるよう招かれたバイキングの一人と伝えられるが、ルーシの内在的発展に着目する歴史学者からは存在を疑問視する意見もあるそうだ。ルーシ史モノにバイキングと題名つけるのはかなり攻めてるということなのだろうか。日本でいえばどんな題名つける感じなのか。実際はバイキングを連れて帰ってきたウラジーミルがルーシを統一する話だが、ウラジーミルが子供のとき船のおもちゃで遊んでたり、随所にバイキング要素は散りばめられていて、何かをほのめかそうとしているのかもわからない。映像美とカメラワークが凝っていて、ナレーションも重厚で大作の風格があり、たしかすごく有名な作品なんだそうだ。ただトーテムポールみたいなのを信仰している段階の場面は画面が暗く重々しくて、ガンジス川みたいなところで一斉に沐浴しキリスト教に改宗するところは明るく神々しい光に満ちているので、コントラストすごくて笑ってしまう。カメラに補正機能ついてないのか、というくらい手ブレする感じのカメラワークで、没入感はあるかもしれない。  以下途中までの内容紹介。  冒頭、勇猛な王族オレーグの部隊がものすごく美しい雪の森のなかで大きな動物と遭遇し、これを命懸けで仕留めかかったところでこの獲物を横取りされそうになり、怒ったオレーグがそいつを殺してしまう。そいつはキエフ(キーウ。今後キーウ公国とかになるのか)を支配する兄ヤロポルクの臣下で、森のすぐそばにいたヤロポルクの軍勢に追われ、ポロツクの町に逃げ込んでもんどりうって事故死してしまう。父王スヴァトスラフの家来で子のオレーグに仕えていたナレーションの人が重厚な声で語る形でストーリーが進む。  バイキングのもとにいたウラジーミル(ヤロポルクとオレーグの弟)が軍勢を引き連れてポロツクにやってきて、敵対した大公夫妻を殺害して自分を奴隷の子と罵った大公の娘を無理やり妻にする。この辺はお酒が入っている設定なの...

最強忍者戦士スキタイ―ラスト・ウォーリアー―

【寸評】   『ラスト・ウォリアー 最強騎馬民族スキタイを継ぐ者』(ラスタム・モサフィール監督、露、2018年)を途中まで観る。  冒頭で主人公の嫁(ヒロイン)がさらわれるのこの手の映画あるある。11世紀のアゾフ海に面するタマン半島にあったトムタラカニ公国が舞台で、トムタラカニ公オレグは実在の人物である。遊牧民みたいな部族とか、岩下志麻『卑弥呼』の暗黒舞踏団みたいな神官?や『キングダム』に出てくるような森の民とかが出てきて、主人公はお前は一体何者だ、とか訊くが、時代背景が分からないこっちからすればそもそも主人公が何人なのか分からないままストーリーは進行する。スキタイはいつ出てくるのかとあくびしながら視聴する。すると途中から主人公の相棒になるロン毛のシュッとしたキャラがどうもスキタイの生き残りらしいことが判明。ロン毛をもちあげると実はモヒカンで、冒頭でよく分からない理由で暴れ回っていたむっちゃ強いモヒカン頭がこいつだったのか、と認識、そこからは俄然興味がわく。  話の筋は、主人公が仕える王の敵の奸計により主人公は逆賊として捕らえられてしまうが脱走し、敵の企みを暴けと王の密命を受け、スキタイ人の相棒とともに妻を探しに行く、というもの。スキタイ人は騎馬の追手をパルチアンショットよりさらに難度の高そうなアクロバチックな馬上弓術で次々に倒す(ただしどうやっているのかはよく分からなかった)。妻が連れて行かれた謎の部族の集落では子供たちが戦闘訓練をしている。妻とともにさらわれた赤子は奴隷として売られるか、オオカミ(戦士のことらしい)として育てられるか選ばされる。オオカミを選ぶと殺し合って10人に1人しか生き残れないという『あずみ』の冒頭のような設定。スキタイ人の戦い方もアクロバチックかつ騙し討ち系のアサシンのような感じなので、どうも遊牧民には忍者のイメージがつきまとう。  追手を殲滅した主人公とスキタイ人は下手こいて森の民に捕まってしまう。スキタイ人は森の民が飼っている化物と高い壁に囲まれた円形闘技場で戦わされる。森の民がそっちに気を取られている間に、吊るされたままになっていた主人公が抜け出して落ちていた濁った飲み物を飲む。すると野獣のようになって暴走して円形闘技場に飛び込んで化物をエヴァ初号機が使徒をほうむるようにボコボコにしてさらに森の民を皆殺しにしてしまう。主人公の...

イケメンには兜を被らせない―安市城―

  『安市城 グレート・バトル』(2018年、韓、キム・グァンシク監督) 「645年、戦の神と呼ばれる唐の皇帝太宗李世民、かれは20万の軍勢を率いて朝鮮半島のコグリョに攻め入った」と暗闇にハングルが流れて読み上げるだけの簡素なナレーションで始まる。そのあと、コグリョの鉄騎兵が整然と陣を敷いた唐の大軍に、『キングダム』のような雄叫び(吹替)を上げながら正面から突撃を試みる。首から下は敦煌壁画の鮮卑軍のような、馬までも重装備だが、イケメンが分かるようにするためか兜は着用しない。 ・唐の太宗は戦の神とか呼ばれてたっけ。 ・太宗自ら率いて出陣したんだっけ。 開始数秒でさっそく色々疑問が湧いてくる。福岡県の地元に渡来人に作らせた防塁が残っているのを思い出す。あれも唐軍に備えるためとか言ってたような気がするので、当時をイメージしてちょっと気になる映画。まだ両軍は衝突するシーンに至っていないので分からないが、きっと鉄騎兵と重装歩兵軍団の脳筋肉弾バトルが繰り広げられるのであろうと熱く期待して、ちょい見して履歴に残しておき、別の映画も気になったのでそっちを見にいく。(2022年5月13日投稿) Amazon.co.jp: 安市城 グレート・バトル(吹替版)を観る | Prime Video