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2月, 2023の投稿を表示しています

歴史学とヒストリーカルチャー(その2)

最初の蒙古襲来ブーム ?  1992年前後の「モンゴル・ブーム」が、現在のモンゴル帝国史研究分野の「黄金世代」とどの程度関わっているのか証明することは難しい。1990年代にモンゴル帝国史研究が活況を呈し、多様な視点からの研究が進展し、杉山正明が『大モンゴルの世界』(角川書店、1992)のあとがきに「あれもわからない、これもわからない」(365頁)と書いたような状況よりは幾らかましになり、若手研究者が最新の成果に触れることができる状況が生まれたことも関係するかもしれない。一方、1992年以前にもモンゴル帝国史を含みつつ、より広く中央ユーラシア史に関心を刺激するような社会的なブームが研究分野の活性化と連動していた例を見出すことができる。それが次に述べる1890年代の蒙古襲来ブームと1980年代のシルクロード・ブームである。   日本のモンゴル帝国史が長い伝統をもつことは、那珂通世『成吉思汗実録』(大日本図書、1907)という書の存在が示している。那珂通世には洪鈞『元史訳文証補』(文求堂、1902)の校訂という業績もある。ところが、こうしたアカデミズムの世界のみならず、明治期の日本社会においては、モンゴル帝国に対し、ある特別な関心が寄せられていた。   江戸末期にいたるまで、日本で歴史が語られる際、蒙古襲来に言及することは決して一般的ではなかった。当時、日本では中国と同様、『千字文』や『三字経』といった漢文で書かれた四字句が連続する長詩や三字句の韻文が小児の書道の手本や漢字習得のために用いられてきた。その内容は道徳に関するものや歴史の知識を盛り込んだなどがあった。日本の通史を学ぶことができるようなものも何種類も作られていた。(本格的な調査を行ったわけではないが筆者の管見の限り)もともとそこに蒙古襲来に関する句は含まれていなかった。ところが、1853年のペリー来航を契機に、蒙古襲来が『千字文』や『三字経』に登場するようになる。1868年、江戸幕府が倒れて明治政府が誕生すると、国民の統合を図るため蒙古襲来の集合記憶が呼び起され、利用されるようになる。   蒙古襲来の記憶を1886年、福岡警察署長となった湯地丈雄は、長崎に帰港した清国北洋艦隊水兵の暴動(長崎事件)や、コレラの猛威による死者を目の当たりにし、往時の蒙古襲来の惨状に思いを馳せ、明治日本を...

歴史学とヒストリーカルチャー(その1)

日本のアジア史研究を題材とするヒストリーカルチャーの可能性  ヒストリーカルチャーとは、ある社会ないし人間集団に共有される歴史イメージを表象するメディアを指す。歴史イメージには、多くの場合,史跡・文化遺産・伝承といったその源泉となる媒体が存在する。そして、ある歴史イメージが伝播する過程においても、そうしたメディアが重要な役割を果たす。また、そうしたイメージをキープし時代をバウンドして伝わることを可能にする人・組織・アーカイヴなどが存在する。伝播の過程では、意図的に「脚色」が加えられたり(例えばある段階で意図的な誇張や再編が行われて、本来のありようと乖離した歴史イメージが構築されるなど)、あるいは無意識的な「誤訳」のために少しずつイメージが変容したりする。本研究は、様々な媒体を通じてある歴史イメージが最終的に独特な形で特定の社会や人間集団に広く浸透し共有されるにいたるプロセスに着目する。そして、そのような歴史イメージが人びとの他者認識やアイデンティティに影響をおよぼすさまを具体的なトピックから探りたい。EU圏において社会的な歴史認識そのものではなく、歴史的素材を含む雑誌・映画や観光資源といった媒体そのものを対象とする研究が発展した。本研究は主にドイツにおける当該研究分野の旗手であるスザンヌ・ポップ教授の次の論文を参考にしている。 Susanne Popp etal.(eds.), Commercialised History: Popular History Magazines in Europe Approaches to a Historico-Cultural Phenomenon as a Basis for History Teaching (Peter LangGmbH, 2015); “Historical Consciousness, Historical Culture, and Public History: Three Key Concepts of History Teacher Education at German Universities”[歴史認識, ヒストリー・カルチャー, パブリック・ヒストリーードイツの大学における歴史教員養成の三つのキー概念ー](『アジア太平洋論叢 』22, pp. 80-86, 2020)  近年、歴史をアカデ...

ウラジーミルのヘルソン攻略―バイキング―

【寸評】    じつはバイキング映画ではないとも評される『バイキング 誇り高き戦士たち』(アンドレイ・クラフチュク監督、露、2018年)を観る。  中世肉弾バトルものかと思って観たらスペクタクル史劇だった。  受験時代に詳説世界史ノート?に書き込んで学んだ記憶があるノヴゴロドのリューリクから何世代かあとの10世紀後半、ウラジーミル1世が主人公。リューリクは血みどろの争いが絶えないルーシから王になるよう招かれたバイキングの一人と伝えられるが、ルーシの内在的発展に着目する歴史学者からは存在を疑問視する意見もあるそうだ。ルーシ史モノにバイキングと題名つけるのはかなり攻めてるということなのだろうか。日本でいえばどんな題名つける感じなのか。実際はバイキングを連れて帰ってきたウラジーミルがルーシを統一する話だが、ウラジーミルが子供のとき船のおもちゃで遊んでたり、随所にバイキング要素は散りばめられていて、何かをほのめかそうとしているのかもわからない。映像美とカメラワークが凝っていて、ナレーションも重厚で大作の風格があり、たしかすごく有名な作品なんだそうだ。ただトーテムポールみたいなのを信仰している段階の場面は画面が暗く重々しくて、ガンジス川みたいなところで一斉に沐浴しキリスト教に改宗するところは明るく神々しい光に満ちているので、コントラストすごくて笑ってしまう。カメラに補正機能ついてないのか、というくらい手ブレする感じのカメラワークで、没入感はあるかもしれない。  以下途中までの内容紹介。  冒頭、勇猛な王族オレーグの部隊がものすごく美しい雪の森のなかで大きな動物と遭遇し、これを命懸けで仕留めかかったところでこの獲物を横取りされそうになり、怒ったオレーグがそいつを殺してしまう。そいつはキエフ(キーウ。今後キーウ公国とかになるのか)を支配する兄ヤロポルクの臣下で、森のすぐそばにいたヤロポルクの軍勢に追われ、ポロツクの町に逃げ込んでもんどりうって事故死してしまう。父王スヴァトスラフの家来で子のオレーグに仕えていたナレーションの人が重厚な声で語る形でストーリーが進む。  バイキングのもとにいたウラジーミル(ヤロポルクとオレーグの弟)が軍勢を引き連れてポロツクにやってきて、敵対した大公夫妻を殺害して自分を奴隷の子と罵った大公の娘を無理やり妻にする。この辺はお酒が入っている設定なの...

最強忍者戦士スキタイ―ラスト・ウォーリアー―

【寸評】   『ラスト・ウォリアー 最強騎馬民族スキタイを継ぐ者』(ラスタム・モサフィール監督、露、2018年)を途中まで観る。  冒頭で主人公の嫁(ヒロイン)がさらわれるのこの手の映画あるある。11世紀のアゾフ海に面するタマン半島にあったトムタラカニ公国が舞台で、トムタラカニ公オレグは実在の人物である。遊牧民みたいな部族とか、岩下志麻『卑弥呼』の暗黒舞踏団みたいな神官?や『キングダム』に出てくるような森の民とかが出てきて、主人公はお前は一体何者だ、とか訊くが、時代背景が分からないこっちからすればそもそも主人公が何人なのか分からないままストーリーは進行する。スキタイはいつ出てくるのかとあくびしながら視聴する。すると途中から主人公の相棒になるロン毛のシュッとしたキャラがどうもスキタイの生き残りらしいことが判明。ロン毛をもちあげると実はモヒカンで、冒頭でよく分からない理由で暴れ回っていたむっちゃ強いモヒカン頭がこいつだったのか、と認識、そこからは俄然興味がわく。  話の筋は、主人公が仕える王の敵の奸計により主人公は逆賊として捕らえられてしまうが脱走し、敵の企みを暴けと王の密命を受け、スキタイ人の相棒とともに妻を探しに行く、というもの。スキタイ人は騎馬の追手をパルチアンショットよりさらに難度の高そうなアクロバチックな馬上弓術で次々に倒す(ただしどうやっているのかはよく分からなかった)。妻が連れて行かれた謎の部族の集落では子供たちが戦闘訓練をしている。妻とともにさらわれた赤子は奴隷として売られるか、オオカミ(戦士のことらしい)として育てられるか選ばされる。オオカミを選ぶと殺し合って10人に1人しか生き残れないという『あずみ』の冒頭のような設定。スキタイ人の戦い方もアクロバチックかつ騙し討ち系のアサシンのような感じなので、どうも遊牧民には忍者のイメージがつきまとう。  追手を殲滅した主人公とスキタイ人は下手こいて森の民に捕まってしまう。スキタイ人は森の民が飼っている化物と高い壁に囲まれた円形闘技場で戦わされる。森の民がそっちに気を取られている間に、吊るされたままになっていた主人公が抜け出して落ちていた濁った飲み物を飲む。すると野獣のようになって暴走して円形闘技場に飛び込んで化物をエヴァ初号機が使徒をほうむるようにボコボコにしてさらに森の民を皆殺しにしてしまう。主人公の...

イケメンには兜を被らせない―安市城―

  『安市城 グレート・バトル』(2018年、韓、キム・グァンシク監督) 「645年、戦の神と呼ばれる唐の皇帝太宗李世民、かれは20万の軍勢を率いて朝鮮半島のコグリョに攻め入った」と暗闇にハングルが流れて読み上げるだけの簡素なナレーションで始まる。そのあと、コグリョの鉄騎兵が整然と陣を敷いた唐の大軍に、『キングダム』のような雄叫び(吹替)を上げながら正面から突撃を試みる。首から下は敦煌壁画の鮮卑軍のような、馬までも重装備だが、イケメンが分かるようにするためか兜は着用しない。 ・唐の太宗は戦の神とか呼ばれてたっけ。 ・太宗自ら率いて出陣したんだっけ。 開始数秒でさっそく色々疑問が湧いてくる。福岡県の地元に渡来人に作らせた防塁が残っているのを思い出す。あれも唐軍に備えるためとか言ってたような気がするので、当時をイメージしてちょっと気になる映画。まだ両軍は衝突するシーンに至っていないので分からないが、きっと鉄騎兵と重装歩兵軍団の脳筋肉弾バトルが繰り広げられるのであろうと熱く期待して、ちょい見して履歴に残しておき、別の映画も気になったのでそっちを見にいく。(2022年5月13日投稿) Amazon.co.jp: 安市城 グレート・バトル(吹替版)を観る | Prime Video

空海、似てるw―空海-KU-KAI-美しき王妃の謎―

  『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎 妖猫伝 Legend of the Demon Cat』(2017年、日中、チェン・カイコー監督)。Amazonプライムであと少しで見れなくなるので途中まで観てみた。夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を北京冬季オリパラ開閉会式も演出した巨匠チェン・カイコーが映画化した。くるくる飛ばないツイハークの判事ディー・シリーズ的な雰囲気の作品。『さらば、わが愛 覇王別姫』『花の生涯 梅蘭芳』『始皇帝暗殺』のイメージからは想像できないが、よく考えたら『PROMISE』もこの監督だったと考えると納得した。  おっさん声で人語を話す黒猫が奇怪な事件を巻き起こす。玄宗の怪死にもこの猫が関わっているらしい。多分その謎を最後に見事解き明かすのであろう染谷将大がディテクティブ空海を演じていて、いつもつるんでいる白居易(黃軒)と流暢な中国語で軽妙なやり取りで楽しませてくれる。阿部寛はまだ出てきてないがもしかして阿倍仲麻呂なのではないか。  染谷将大は『麒麟がくる』のサイコ信長と『寄生獣』のインパクトが強すぎて、またとんでもない空海なのではないかと期待している。空海もある意味現実離れした感じだし、観ているうちにだんだん染谷空海ありかもと思えてきた。  唐の都の映像美が素晴らしい。これはCGなのか、なんとなくツイハークの映画にも出てきそうな感じなので、そういうセット(映画村みたいな)どこかにあるのだろうか。唐代を描くとお約束のように出てくる妓館は、問題にはならないのだろうか。売春は下手したら死刑だったと思うが、禁止されてるものを映画ではええとこみたいな描き方するのはどうなんだろう。(2022年4月20日投稿) Amazon.co.jp: 空海-KU-KAI-美しき王妃の謎 インターナショナル版(字幕版)を観る | Prime Video 追記 空海のセリフは吹き替えだと思ったが、実際に本人中国語で言っていたのか。でも本人版と吹き替え版とがあるのかも? http://j.people.com.cn/n3/2017/1229/c94473-9309779.html

時系列無視!凶悪動物の地球史―ウォーキングwithダイナソーSP 海の恐竜たち―

   動物学者・冒険家のナイジェル・マーベンが太古の海に生息する地球史上最恐の凶悪動物を求めて時空を往還する。  最初のオルドビス紀は地上に植物はなかったため、酸素が少なく、酸素ボンベを携帯して時々吸っている。生き物は基本的に水中にしかいないが、海辺に打ち上げられた三葉虫を餌にほかの生物を誘き寄せる。ウミサソリがかかって、ナイジェルの足を切り付けてくる、みたいな感じで話は進む。 このシリーズは時系列は無視して、とにかく獰猛な水生生物がいる時代へ、比較的やばくない方から紹介していく。  オルドビス紀(4億5000万年前)ウミサソリ、直角貝→三畳紀(紀元前2億3000万年)水生爬虫類→デボン紀(3億6000万年前)甲冑魚ダンクレオステウス みたいな感じで。それでも生き物のインパクトとその時代の環境が違うのでなんとなく理解はできた。世界史もそんなんで良いかもしれない。(2022年4月18日) Amazon.co.jp: ウォーキングwithダイナソー スペシャル: 海の恐竜たち(吹替版)を観る | Prime Video

戦争をスポコン映画する―ミッドウェイ―

  「現在、世界の政治的状況は、憂慮すべき段階にあり、文明の基盤が深刻な危機に瀕している。戦争は伝染する。世界の平和や各国の安全は戦争によって脅かされている。…」 という昨今色々感慨深い演説で始まる『ミッドウェイ Midway』(2019年、米、ローランド・エメリッヒ監督)。  これは同じドイツ人監督が作った米国の国威発揚SF映画『インデペンデンス・デイ』を太平洋戦争を舞台にアレンジしたような作品。20年位前の作品『パールハーバー』と違って関係各国全方位に忖度したあとがあり、時代の変化を感じる。ただバランスの取り方はとてもアメリカの世界史教科書と似ていて、一つ一つの部分的な描写について立場はきっぱりしており、全体としてバランスを取る方式なため、細部においては見る人が見れば様々な意見があるのかもしれない。にもかかわらず冒頭で「これは米国史上最も重要な海戦の真実である」と言い切っている。映画なのに「真実」とか、JAROって何じゃろう。  GODZILLAをはじめとするSFパニック大作で知られ「マスター・オブ・ディザスター」との異名をもつ監督だけあって巨大な空母が燃えさかるシーンなどはド派手で大画面なら多分堪能できるのだろうがスマホで見ているとさっぱりなためかリアルさはさほど感じず、もっぱら人間ドラマとして見ることになる。ストーリー的には真珠湾で仲間を失い復讐に燃える米軍パイロットたちが、かなり苦しみながらもミッドウェイで勝利を掴むまでをかなり細部をすっ飛ばしつつ描く。  日本はまだ追い詰められていないミッドウェイ以前の段階で、むしろ米軍機が神風特攻をして外れるが、それを南雲中将は、あいつらにそんな度胸はない、と言い切る。ところがどっこいじつは米軍には『トップガン』のマーヴェリック級の命知らずのパイロットが少なくとも3人くらいいる。そして家族に思いを馳せつつ艦砲射撃をかいくぐり危険な急降下爆撃を繰り返す。日本映画の零戦乗りの専売特許が、この映画では空のカウボーイさながらの米国パイロットに奪われてしまっている。主人公の空のカウボーイは俺は捕虜にはならんとも言う。  米軍の被害を減らすため徹夜で頑張る情報将校のためサンドウィッチを作る妻が描かれる一方、日本将兵の家族はほんのちょっとしか描かれない。しかし、米軍爆撃機から見える日本の戦艦乗組員や米国空母を攻撃する日本の戦...

ポスト=サイードのSF歴史ファンタジー―アウトランダー―

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  『アウトランダー OUTLANDER』(2008年、米独、ハワードマケイン監督)  これはTSUTAYA的にはエイリアンものになっているが、とてもそんな簡単に片付けられない問題作である。しかし、似たようなタイトルのドラマや映画があって紛らわしい。検索すると三菱自動車のSUVか英国No. 1イケメン俳優が出てるという同名のドラマばかり出てくる。『アウトランダーズ』とかいうファンタジー映画もあってややこしい。  私が開始30分まで見た『アウトランダー』は、遠い宇宙の果てから一隻の宇宙船が709年のノルウェーに墜落してくるところから始まる。二人いた乗組員の一人が生き残る。完全に地球人の姿だが、言葉は地球のものとは違う。墜落時の衝撃でも壊れなかったかれらのマシンで瞬時に現在地が旧植民候補地だった地球という惑星のノルウェーという場所だと判別される。つまり、地球人はかつて植民してきたかれらの仲間の子孫ということか。  かれらの技術のすごさは、顕微鏡みたいなのを片目に当てると黒目がぐるぐるギューンとなって現地の言葉が使えるようになること。その技術あったら国際学会は楽になって良いなと思うが使うと頭ぐらぐらして鼻血出てたから人体に負担もありそう。語学をネイティブなみにマスターするのにかかるであろう10年単位の情報を1分で詰め込んだら人間はああなってしまうのか。  さてこの生き残った主人公は銃を手にし、何かを追って森へ入る。エイリアンがかれらと同じ宇宙船に乗っていて、もう一人の乗組員を殺して逃げていったからだ。この辺は『プレデター』的な緊迫感。そして何者かによって壊滅した村にたどり着く。たぶんエイリアンの仕業だろう。そこでエイリアンを警戒して銃を構えて周りを伺っていると、突然ひとりのバイキングぽいロン毛に後ろからどつかれ気を失って、そのロン毛の村へ連れていかれる。  ロン毛の村では、さっきの村を襲ったのは何者なのか捕まえた主人公に吐かせようとするが、主人公は不敵な笑みを浮かべて「ドラゴンの仕業さ」とか言うので、またどつかれて、鎖に繋がれてしまう。その夜、ロン毛の村は何者かの襲撃を受けて多くの死傷者がでる。村人たちは、あれはフランクだ、違うルーシだ、いや熊だ、と言い争い、聖職者たちは、賢者の神ミールがヨトゥンヘイムに我々を引きずりおろそうとしているのだ、とか、ルシファーだ、と...

リヴァイアサンに命をささげる異国人―ザ・レジェンド―

  『ザ・レジェンド Outcast 白幽靈傳奇之絶命逃亡』(2014、中加仏、ニコラス・パウエル監督)  冒頭は『キングダム・オブ・ヘブン』のような荘厳な画風で、十字軍が中東イスラムの都市を侵略して大殺戮を行う。血まみれの戦いの最中、ニコラス・ケイジが「おれ、もう疲れた、東に行くわ」と言いだす。その弟子のヘイデン・クリステンセンが「はあ?訳わかめ」と言って容赦なく攻撃を続行する。しかしクリステンセンは己の行いに慄き、アヘン中毒になりながら東の国へ流れ着く。  東の国では、暴虐な王子シンがクーデタを起こし、弟に王位を継がせようとしていた父王を殺す。そして玉璽を持って逃げた10歳にしかみえない14歳の王子と14歳くらいにしかみえない年齢不詳のその姉を殺すため追手を送る。追手がついに姉弟を見つけ、西部劇風のバーでピンチになっているところ、さすらいのガンマンのような風体のクリステンセンがアヘンか酒かでふらふらなのに酔拳みたいなアクションでばったばったと追手を倒す。  そこからは、「おれは中華の王になる」と宣言する王子と姉とさすらいの剣士ともうひとり途中で拾った庶民の女の子が、追手をかわしながら西方の味方になるかもしれないと思われるガオ将軍がいる町を目指す『キングダム』的な話になる。戦いでトラウマを背負ったガイジンが疲れて逃げるように流れ着いたよその国で、戦乱に首を突っ込んで、そこで生きる意味を見つけて、人のために戦うというのは、『ラスト・サムライ』パターンが踏襲されている。そこから色々あってクリステンセンが深傷を負いながら先に逃げた姉弟らを追って山地へ入る。その山にはシンと対立するホワイトゴーストと呼ばれる男が率いるアウトロー集団が砦を築いている。ホワイトゴーストは超非協力的だったのに、最後は未来の王のため命をかけてシン自ら率いる追討軍と戦って仲間もろとも玉砕する。そしてついにシンの軍勢が迫ってくる。ガオ将軍はどうなった?  この映画、カメラワークがすごくグラグラしていて、高速のソードアクションが見えにくくて、ちょっと油断すると、いま誰が誰に何した?になる。  劇中、亡き王が認めた後継者を守る、という目的のために多くの人が命を惜しまず戦っている。ホワイトゴースト一味も、はじめは関わりたくなかったが、巻き込まれてシンの攻撃にさらされる。(2022年3月11日投稿より...

海賊王霍去病―ドラゴン・ブレイド―

  4月が近づいてきて、授業で取り上げる古代のものを何か観ておこうかと思った。私が観ているのは中世近世に偏っている。  本当はジェラルド・バトラー主演『覇王伝 アッティラ Attila』を観たいのだが、Amazonプライムビデオで見つからない。仕方ないのでDVDを買おうと探しているとアッティラの『歴史群像』表紙ぽい肖像画付きの黒い長袖Tシャツを見つけるがそれをポチるのは我慢する。  Amazonプライムビデオには『バーバリアンズ ライジング〜ローマ帝国に反逆した戦士たち〜 Barbarians Rising』(2017)というシリーズものがあり、そのシーズン8がアッティラを取り上げているので、また観なくてはならない。試みに「冒頓単于」はないかな、と思って検索するが出てこない。やったら面白いのに。留学中に観ていた中国ドラマ『漢武大帝』もない。インディアンみたいな羽を頭につけた匈奴が出てきて面白かったのに。『解憂〜西域に嫁いだ姫君〜』は武帝のとき烏孫に嫁ぐ公主の話で匈奴も出てくるらしく興味引かれるが、エピソード28まであってしんどい。  そこで、『ドラゴン・ブレイド 天將雄師 Dragon Blade』(2015年、香港・中国、李仁港監督)を見つける。一回観たことあって、霍去病が『ワンピース』の伝説の海賊王ゴール・D・ロジャーみたいな位置づけだったというのは微かに記憶に残っている。改めて冒頭だけ観てびっくりした。ローマ軍の一隊が戦争中に忽然と姿を消し、それがシルクロードを旅して中国までやってきた、その「史実」をもとにした物語である、と言うのだ。  ググってみると、甘粛省の者来塞村の人々がローマ人の子孫だという話になってるらしいのだ。 よく分からないがDNA分析でヨーロッパと繋がると言っても、中央アジアにはもともといわゆるコーカソイドが住んでいたのだし、何故ローマだといえるのか。これは唾つけすぎて眉なくなりそう。  しかも、観直す前からケチをつけて恐縮なのだが、事実を元にした本当の話です的な、安い感動秘話再現ドラマ感がすごくする。『Fukushima50』のトモダチ作戦のような国境を超えた友情ものが、もう感動の押し売りみたい。しかも大御所を主演に据える鼻息の荒さ、国策映画臭が、すごい。(2022年3月9日投稿より改訂) やあ、ドラゴン・ブレイド(字幕版)を観ている...

悠久のガンジスのごとく―バーフバリ―

  『マガディーラ 勇者転生』を観終わらないうちにAmazonにお薦めされた同じ監督の『バーフバリ 伝説誕生 Baahubali: The Beginning』(2015年、印、S・S・ラージャマウリ監督)を観始める。  インドの最高額予算で作られた歴代最高興行収入映画。名前を見てバリ島の港市が舞台の東南アジア映画かと連想したが違った(Wharf Baliみたいな)。そこそんなに時間使う?いまの一連のくだり何やった?と思ってしまうほど、ストーリー展開が悠久のガンジス川の流れのようにゆったり感じられ『ロード・オブ・ザ・リング』とよく比較されるのも頷ける中世風ファンタジー大作の風格を感じさせてくれる。  主人公シヴドゥは目つきが『ナイトライダー』のマイケル・ナイトのような精悍さ溢れ出るワイルド・ガイ。シヴァと重なるような描かれ方をしてるのは、『マガディーラ』と共通する。シヴドゥが住んでる村に大河の水がすごい高低差で流れ落ちる巨大な滝があって、彼は岩壁をよじ登り、その滝のてっぺんまで行こうと日々挑んでは失敗している。育ての母サンガはシヴドゥがその挑戦やめてくれるようにと、滝の水を汲んできてシヴァの御神体(リンガとヨニのセット)にかけるという願掛けを行う。バラモンみたいな人が1001回水をかけると願いが叶うと告げたからだ。こういうウクライナの戦争を止めるために千羽鶴を折る的な百度参りみたいなものが少なくともインドにはあると分かった。それより西にはあるのだろうか。  母の無理を心配するシヴドゥは機転により母が水汲みをしなくても願掛けができるような仕掛けを思いつく。しかし、滝のところに青い蝶が化けた美女の飛天が現れ、それに誘われるまま、シヴドゥはついに滝のてっぺんまで到達する。自動願掛けシステムを考案したのはシヴドゥだからシヴドゥの願いが叶ってしまうというオチか。このくだりは歌手の美声と清涼感ある音楽と映像美とが素晴らしく陶酔できる。  シヴァ神はガンジス川を髪の毛で受け止めることができるとされ、シヴァ神の髪に小さなガンジス川の女神ガンガーが描かれることがある。ローカルな川の神がメジャーなシヴァ神信仰に結びつけられた例とも言われる。この映画の青い蝶が化けた飛天は、ガンガーなのだろうか?  シヴドゥがてっぺんに到達すると、さっきの飛天と顔の区別がつかない女戦士みたいなのが...

インド版「君の名は」―マガディーラ勇者転生―

  『マガディーラ 勇者転生 Magadheera』(2009年、印、S・S・ラージャマウリ監督)  最近流行りの転生もの。転生ものの本家本元インドの作品。日本でも大ヒットした『バーフバリ』の原点とされる。  1609年、インドのラージャスターンに栄えたウダイガル王国の近衛軍の戦士バイラヴァが王女と恋仲になって追われ矢が刺さって瀕死の状態で崖から落ちて死んでしまう。先に崖から落ちた王女を追ってバイラヴァも淵に飛び込む。そして、落ちながら、王女に追いつく!しかしその手を取ろうとするも空振りに終わり、そのまま落ちていく。ガリレイによれば重いものも軽いものも落下速度は同じというが、じつはそうではない。数学でインドが間違いを犯すはずがない。それより気になるのは人物と背景がZoomみたいな合成感丸出しという点。そのあと眉がつながった鎧の男が、バイラヴァが脱いだ鎧に火をつけ、バイラヴァは400年後転生する、と叫ぶ。  2009年のハイデラバードに場面が移り、バイクジャンパーのハルシャに生まれ変わったバイラヴァがバイクで疾走する。バイクに乗ったままジャンプして高いところにあるバーを超えようとして、観ている人がお金を賭けてる。その賭博で不正な方法でお金を稼ぐ女がいて、ハイシャら男たちが追いかけて、めんどりがどうしたこうしたという歌に合わせてインド映画ならではの集団ダンスの掛け合いが始まる。  その後、ハルシャがオートリキシャで雨の中、空港に向かってて、手を窓から出すと、バスを待ってた王女の生まれ変わりの鷲尾いさ子ぽい女子大生インドゥと手がふれ、ビビビッとなる。その女子大生の父親から奪った土地を巡って揉めている叔父の息子(遠目で見ると平井堅似)がラスボスぽい。  とにかく歌と踊りがネイマールの舐めプ集動画のようにノリノリで楽しい、さすがインド映画。ストーリーとかあってもなくても良いくらい。ハルシャと賭博不正女のボスが『ビーバップハイスクール高校与太郎行進曲』のクライマックスの舞台みたいな火花降り注ぐ金属工場で繰り広げるダンス対決はストーリー的に何のために入れたのか分からなかったが圧巻ですごい好きだ。  『インフィニット』同様、転生は人間から人間、性別も変わらないが、こっちは顔まで同じ(同じ役者)である。(2022年2月24日投稿より改訂) 『マガディーラ 勇者転生』残り23分...

日米災害パニック比較―Fukushima 50、カリフォルニア・ダウン―

  ある意味、歴史スペクタクルと相通じるところのある災害パニックものの邦画と洋画。 『Fukushima 50』(2019年、日、若松節朗監督) 『カリフォルニア・ダウン San Andreas』(2015年、豪、ブラッド・ペイトン監督) いずれも地震・津波がコンボで襲ってくるのだが、災害そのものの描き方は『Fukushima50』は邦画らしいナチュラル風味で、『カリフォルニア・ダウン』は洋画らしく濃いめの大味。不思議なのは日本の戦争ものとか災害パニックものでは、なぜいつも怒鳴りあっているのか。東日本大地震のときの福島の原発のテレビ会議の映像見てもあんなには怒鳴り合ってはいない。たぶん戦国時代も、実際には青筋たてて攻めるのか守るのか激論して「出陣じゃー!」とか言わず、「それではみなさんそろそろ出発ということでよろしいでしょうか」とか言って出陣していたのではないか。違うのか。 『Fukushima 50』は角川だから経験的に雰囲気は出てるが中身はすっからかんだろうと思った。観たところまでは雰囲気はまあ出ている。無能な働き者を絵に描いたような総理大臣像が物議を醸してたらしいがある意味、パニック映画に新風を吹き込んだといえるかもしれない。というのも災害パニック映画の政治リーダーは、死んだり行方知れずになったりしてる家族の写真を伏し目がちに眺めながら、敢然と前を向き人々の先頭に立って危機に立ち向かうのが相場だから。この映画の総理は東電の邪魔しかしていない。実在の政治家がこんなにコケにされた描かれ方、あまり見たことないぞ。最近の歴史ものは無能とされてきた人物が実はそうでもなかったとか再評価する向きもあるのだが、この映画では清々しいまでの無能ぶりだ。 『カリフォルニア・ダウン』の邦題紛らわしい。元レスラーのザ・ロックが主役だから地下プロレスかなんかの話と勘違いさせようとしてるのか。原題はサンアンドレアス断層からとったとか。ザ・ロックの俳優業の評価を知らなかったので(『ジュマンジ』出てたな)、脳筋映画だと侮っていたが、案外、元妻とのすれ違いとか娘を思う父とかちゃんと家族ドラマをやっていた。災害パニックものあるあるもちゃんとそれなりに踏まえている。主役の恋敵はいざという時役に立たないパターンとか、他に先駆けて危険を予測しててしかも都合よく現場に居合わせている科学者とか。パタ...

くるくるかんかんかん―射鵰英雄伝―

『射鵰英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー』(2017年、中、チャン・カーチュン監督)   蒙宋金のドラマ。これは絶対くるくるかんかんかんだな。(2022年2月21日投稿)  などと馬鹿にしていると、その後、結構はまって全編見終わり、リピート視聴するまでに。  レジェンド級武侠小説家金庸の作品で、ドラマ化はすでにされていたもの。今回のヒロイン黄容役李一桐、モンゴルの武将ジェベ役の杉本哲太似ほか、主人公たちの親世代を演じる楊鉄心・包惜弱夫婦、完顔洪烈、黄薬師、洪七公ら主要キャストも、あんまり出てこないがきらりと光る脇役たちも全員素晴らしく、ファンタジー風の衣装も凝っていて、セットもこだわりを感じる。そして、ひとつひとつのシーン止めて見ても絵になるくらい構図もキマっている 。主題歌は前作と同じ名曲。物語はあまりに長大なためにいろいろ突っ込みどころも多々あり、このくだりいつまでやるのみたいな間延び感もあるが、人間ドラマもそれなりに見せてくれる。これはヒットしないほうがおかしいといえる作品。  5人いる最高峰の武術家の一人で、もっとも主人公たちと関係が深いキャラの洪七公は、物乞いたちの地下組織である 丐幇のリーダーである。物乞いたちが集まって幇主を決める全国大会が開かれたり、独自の情報網を張り巡らせていたり、国家危急の時に立ち上がる、という設定も中国史的には面白い。天下の武術家が集まる華山論剣というのは、天下一を決める大会だが、大御所たちが久しぶりに集まって旧交を暖めるという面もあり、ある意味、中国の学会を思いだしてしまう。  個人的には、中世「肉弾バトル」はリアル志向でやってほしい派で、過剰な ワイヤーアクション には否定的なのだが、そういうのは超人的な達人のみに限定されている。そういえば ツイハーク監督のワンスアポンアタイムインチャイナでもカンフーの達人だけがくるくる飛んでいたのだったか。達人だらけになると全員くるくる飛んでしまうので、最初から達人だらけだと違和感しかないのかもしれない。射鵰英雄伝では、 崖も建物も飛び越えるアベンジャーズばりの跳躍をするのも、「内功」を会得した人物のみだ。それができるようになる過程も描かれている。  時代設定はチンギス・カンが台頭するところから死ぬ直後くらいまでだが、襄陽の戦いが最後のステージとなり、色々おかしいところもある。さす...

中世イクメン映画―ラスト・キング―

  以前「1人 VS モンゴル帝国軍15万人」が煽り文句の『フューリアス』をチラ見したからかAmazonが『ラスト・キングー王家の血を守りし勇者たちーThe Last King』(2016年、諾、ニルス・ガウプ監督)を薦めてくる。キャッチコピーは「300人の反乱軍 VS 2人の熱き戦士(ビルケバイネル)」。  「雪原の勇者ビルケバイネル」とか言われるとノルディック複合ラージヒル個人で最後がしがし来て渡部をほうむり金銀メダルかっさらったノルウェー選手2人をイメージしてしまう。  この映画に出てくるビルケバイネルは王の親衛隊みたいなもののようで勇猛だが装備が明らかにしょぼい。皮衣でスキーに槍と弓矢といった古色蒼然とした装備で、敵(デンマーク人?)の鎧着てボーガン持ってる鉄騎兵団に立ち向かう。  『フューリアス』『戦神』同様、夫は王や国への忠義のため戦い、妻は家庭が第一で、二つの論理のジレンマが描かれる。妻は王や国に対する忠勤が家庭に及ぼす影響(夫の不在、夕ご飯が冷める、家の修理の遅延など)に不満を表明する。  『ラスト・キング』ではガンズ・アンド・ローゼズみたいな眼光のビルケバイネルが自分の家族の犠牲から即座に立ち直り、王妃と幼い王子の救出へ向かう。しかし、他のビルケバイネルたちから家族のために王子の居場所を敵に教えた裏切りものとして非難される。そんないざこざの最中に敵の騎兵隊がきて味方は死んだり捕らえられたりする。もうひとり残った愛知万博のモリゾーみたいなビルケバイネルとともに王子を背負って鉄騎兵の追撃からスキーで必死に逃げるところは、まさに追い上げてくる強豪たちから逃げ切るノルディック複合を思わせる。2人のビルケバイネルと王子はなんとか別ルートで逃げた王妃と落ち合うどっかの村に辿り着き、そこの村人たちとともに立ち上がる。  そのとき、眼光鋭いビルケバイネルは、王や国のため家族を犠牲にするビルケバイネルとしてではなく、いち農民として家族を守るためにともに戦おう、と訴える。しかし、農民たちはなぜ幼い王子のために命をかけて戦うんだろう。  そこにはこの映画に込められた隠された意図が関わっていると考えた。つまり、ワークライフバランス、イクメンの潮流はついに中世北欧にまで及んだのだ。2人のビルケバイネルはひとりもの(1人は妻子を失った)。一生懸命、王妃と王子のシングル...

出過ぎた杭は打つ気も起こらない―ライズ・オブ・シードラゴン―

  『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪 Young Detective Dee: Rise of the Sea Dragon 狄仁傑之神都龍王』(2013年、香港、ツイ・ハーク監督)  これはディテクテヴ・ディー(狄判事)という大ヒットシリーズ中のヒット作だから、何も考えずに楽しむべきものである。原作はロバート・ファン・フューリックRobert van Gulik(蘭1910ー1967)のJudge Dee Mysteryという一連の古典的推理時代小説である。  映画自体はワンチャイのツイ・ハーク監督作品ということでワイヤーアクションも覚悟の上で観る。ここまで突き抜けてしまえばもはや突っ込む気も起こらないという模範を示してくれる。展開が速く、アクションもド派手、かつ画面も綺麗で登場人物も華やかな純エンタメ作品。宣伝で『パイレーツ・オブ・カリビアン』だとか色々形容されているが、私的には最初『ゴジラ』で始まり途中から『Xファイル』になり、『美女と野獣』も混じってくる感じだった。  冒頭、日本の大鎧みたいなの着てる唐の水軍が海中の姿が見えない怪獣みたいなのに壊滅させられ、則天武后が調査を命じる。武后役のカリーナ・ラウ、映画で見たの20年ぶり感慨深い。その怪獣=龍王を鎮めるために都随一の花魁が生贄として龍王廟に花魁道中みたいなパレードしながらやってくる。そこへ謎の白装束集団が襲撃してくる。と同時に福崎町の河童の河太郎みたいなのも水中から飛び出してきて暴れ回る。異変を察知した大理寺の新米刑事である主役狄仁傑が、医者の沙陀忠や大理寺の敏腕刑事尉遅真金とかと一緒に大活躍して事件を解明する…のであろう、きっと。 唐の大理寺はこの手の歴史ドラマで警視庁みたいな扱いなのか。狄仁傑は実在の人物とはいえ、かなり史実は曲げられているだろう。沙陀忠は架空の人物で回紇出身と言っていたが、沙陀は突厥の一部族だし、沙陀なんていう姓はあったんだっけ。(2022年2月15日投稿より改訂) https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08D72M2NZ/ref=atv_dp_share_cu_r 素朴な疑問 則天武后のセリフで「大唐を滅ぼすつもりか」と言うのがあったが、その後の歴史を知るものとしては「どの口?」と思う(武后が皇帝になると周になる)。あ...